そして悲しくうたふもの


稽古開始まで1週間を切り、構成台本の執筆もまさに佳境だ。
台本を書き進め、消して戻り、また書き進める。

書き直した結果良くなればいいが、かえって悪くなったりもしばしば。しかし、一度消した文章を復活させる気にもならず、次の閃きがくるまで机の前に居座り続ける。

立川の劇団、「神馬」の作家である上野さんが「台本の後半は詰将棋みてえなもんだからよ」と、でかい声で苦悶を浮かべながら言っていたのを思い出す。
まさにそのとおりだ。
しかし上野さんは将棋が得意だったはずだ。自分は3歳差の兄に全くてかげんしてもらえず負け癖がついた幼稚園の頃に将棋は引退した。 


そんな中、お盆ということもあり、数日間の帰省があった。

故郷の味を堪能しいい息抜きになった。件の兄が新車を買っていた。自分が東京に戻る際に送るそのときまで、車の話題など一切出してこず、いつもの車だろうと駐車場に降りて行ったときに淡い緑で覆われたミニが眼前に現れたとき、驚きと、そして、むずむずとした嬉しさが込み上げてきた。
人が自身のためにお金を使っているのは見てて楽しいものだ。下卑た考えかもしれないけど。

自分は最近自転車を買い替えた。昔なら車との金額差に悔しくも思っただろうが、それぞれの趣味の世界のことだ、もう比較する気も起きない。


東京に戻り、執筆が再開される。
家では、主に二匹の猫によるものだが、誘惑が多く進捗が芳しくないため、昼間は稽古場、夜はネットカフェやカプセルホテルにと、こもってみた。この環境は良かったらしく、かなり原稿を進めてくれた。
「Nuovo Cinemime Paradiso」の物語も佳境に差し掛かってきている。「ニュー・シネマ・パラダイス」に重く塗られているノスタルジーや郷里というテーマを考えることが増える。そう考えると帰省したのはタイミングがよかった。こういう、なにかに取り組んでいる折にそれに関わる出来事が合わさってくると、大げさだけど運命めいたものを感じて、少なくても間違った方向ではないと言ってもらえているようで、少し、ほっとする。

単独ライブ、「Nuovo Cinemime Paradiso」は9割がたシネマイムだ。けど、残り1割のストーリー部分のために、この「ふるさと」というテーマに向き合わなければならない。

東京で、田舎には無いネットカフェで、カプセルホテルで、山下公園で、日本丸で、稽古場で、ふるさとのこと、昔のことに考えを巡らせる。
ふと「ふるさとは 遠きにありて~」という詩が頭をよぎる。
有名な詩なのに作者名もちゃんと覚えていなかった。でも、これはなにかの閃きにつながるかもしれない。そう期待し、調べる。作者、そして詩の解釈、背景・・・

ドキリとした。

ノスタルジーではないものがそこにあった。
「ニュー・シネマ・パラダイス」にも見えるようなそんなものが。

少しいろいろなことが繋がったかもしれない。
これをなんとか台本に反映させられれば。

稽古開始まであと六日だ。