構造

吹越満の「シモキタ・コメディ・ナイト・クラブ」のDVDを見る。
パントマイムを使った舞台として、正確にはネタを見せるためのツールとしてパントマイムをつかっているのだけど、面白い。おそろしい。最高峰と思う。
この面白さは作品や技術、着眼点はもちろんだが、構造がさわやかさを生み出しているところにある。
作中で吹越さん自身が言っているけど、作品自体はエロとちょっとグロのオンパレード。しかしステージの上をことさらに別空間として提示して、本人も時折そこから降りてきてその空間を眺める。そんな距離の置き方。作品と自身とお客さんとステージの上と下と・・・全体を構成する要素がどういうふうに置かれているか、置くとよいかということが、細部まで考えられている。この構造がエロでグロなものをさわやかに見せている。

パントマイムを使う舞台というのは構造が肝心だなと思う。
お客さん、演者、作品をそれぞれどこに置くか。
距離、関係性、見せる面、見える面。そういった位置付け。演劇のそれよりは多様で、振れ幅も大きいのが特徴かもしれない。
テンナインのシネマイムはどうか。
デザインフェスタ、大道芸、ライブイベント、
思えばどれも微妙に異なる構造で製作してきている。そして「Nuovo Cinemime Paradiso」では・・・。
この三パターンとはさらに違った構造が必要となるだろう。今、なかなか全体像がハッキリしないのはこの構造が自分自身見えてないからのように思う。
これまでのどれかと同じ構造では、きっと無理が生じる。
目的、会場、お客さんとどれも違うのに、構造だけ、なにかで用いているものをもってきてしまってはそぐわないし、現に今、ピンと来ていない。

シネマイムは弁士と演者とお客さんとがほど良い距離に置かれたときに最も面白くなる。パフォーマンスエリアの規模が大きくなれば弁士はよりプレゼンテーションの役割を担っていくし、それがお客さんとの距離にも変化する。
また、お客さんが通りすがりの人だけの大道芸では、とにかく足を止めるために弁士は距離を縮め、パフォーマンスも異質なものとして存在させようとする。
それぞれに応じたシネマイムを届けるのにハマる構造というのがあるのだと思う。作品の質や色も磨いていきたいけど、構造をつくる力も培っていかなくてはならない。


さて、「Nuovo Cinemime Paradiso」をどんな構造にできるだろう。
 

会場の「SARAVA東京」はライブハウスでステージがある。
ブースや大道芸のように客席とフラットな高さじゃない。
ステージというのは不思議なもので、30センチでも段差があればたちまち隔たりが生まれる。
そんなところで行われるパフォーマンスはひとつの塊を形成していて欲しい。輪郭がハッキリした「これ作品ですよ」というような。それを弁士が眺めて、お客さんは弁士ともども眺める。そんな絵。


深く考えなくちゃいけないのは、弁士もパフォーマーとなるし、パフォーマーが弁士になる場合があるということだ。その行き来が構造を壊すようになるとなんだか野暮ったい印象になりそうな気がする。
その切り換えは絶妙に、効果的に、だろう。

少しずつ、構成台本の作り方が分かってきたかもしれない。
白い台紙に白いやわらかい粘土でピースを作り、組み込み、パズルを作り上げるようだと、とっかかりが無かったけど、その中で書いたり消したりしていたらうっすらと線が見えてきたようだ。

そんな小さな収穫でも、あると全部のパズルの線が見えてくるまで行けそうな気がする。

お盆が終わるころには稽古開始。
それまでには。